人はそれぞれに自分の都合を生きています。
そのことを理解し、許し合える関係と、そうではない関係がある。
その違いは何なのでしょうか?
お互いに、自分勝手な都合は優先させない、一見良好な関係に見えるのですが、相手が期待している事を、言葉を、自分の犠牲において実行し、成立している。
そこには、自我の基盤が影響しています。
その一つとして、自己肯定感が低く、自己否定という構えをしていることがあります。
自分で自分を頼りにすることが出来ずに、他者の支配の元で安心感を得ようとしてしまうのです。
もう一つは、自分の不快感情を表わにすることにより、なんとなく相手に罪の意識を持たせて、相手を変えようとすることがあります。
圧力とでもいうのでしょうか。
その行為で成功した経験が重なると、その後も圧力で他人を都合良く変えようとしていくのです。
この二つのパターンは、とかけ離れているように感じるのですが、どちらも心の根底には、他者の前でも、そして自分の前でも、自分を隠して生きているということがあります。
ありのままの自分を素直に肯定することが、なかなか出来ない。
それには様々な理由があると思います。
③に続きます。
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