昨日は朝から夕方まで心理学の講座、講義があり、頭もフル回転で疲れましたが、楽しい一日になりました。
楽しかった一因として、共同体に属しているということがあるのだと思います。
人には色々な面があり、それぞれに事情もあり、各々の事情を生きています。
その事情を許す関係が、共同体です。
例えば、5人1組でやらなければならないことがあったとします。
5人全員でやった方が、効率も良くスムーズに終わるのですが、誰か1人が、大した事柄ではないのだが都合がわるい。
その大した事柄ではなくても、相手の都合、事情を許して、4人で事を進めてくれる。
そして都合のわるかった1人も、それでも仲間から拒絶されない安心感を感じている。
それぞれがそれぞれをお互い様だと感じ合い許し合う。
そんな安定した所属感が共同体であると思います。
では、機能体とはどういった解釈になるのでしょうか?
自分たちも身勝手な事をしないが、相手にも身勝手な事を許さない。
一見効率がよく優れて結合しているような感じを受けるが、実は窮屈である。
更に誰が裏切ったとか、誰の方が大事にされているという問題が表出してくる。
それぞれがその場所で、必ず何らかの役割を果たさなければならず、俯瞰的に人間を見ることに欠けてしまう可能性が高いのです。
これには自我の基盤が関係していると思われます。
相手の期待に反しても、相手の目的に叶わなくても、受け入れてもらえる感じを持っている。
相手が期待していることを、自己犠牲において実行していかなければ、受け入れてもらえない感じがある。
この違いはどこから来ているのでしょうか?
この辺りについて、次回お話しさせていただこうと思います。
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