愛の対義語、最近は時折耳にするようになってきたけれども、それは憎しみではなく、無関心です。
この世は自分だけで成り立っているわけではない、という基本的な真実があります。
ですが日常の生活に流されて、つい自分中心の心で過ごしてしまう。
もっとこうすれば良かった、もっとああして接した方が良かった。
そんな日々を過ごしながらいるわけなのですが、そう心掛けていくことが大切なのかもしれません。
もっと、もっとこう出来たというのは、人間の傲慢なのかもしれません。
反省を抱えて生きていく。
それが人間としての在り方だとしたら、他者もまた同じです。
自分の不完全さに気付き、他者の不完全さも許していく。
不完全な者同士が分かち合い、どこかで何らかの形で支え合っている。
そして、今優しい心や思い遣りを必要としている人たちもいる。
自分にささやかな時間と労力があれば、それを差し出せる生き方をしていきたいものです。
但し注意したい点もあります。
ひとつは、世の中には多様な人々がいて、中には良からぬ企みをしている人達もいる。
それを見極める目を持つことです。
もうひとつは、自分のした思い遣りが、他の誰かを深く傷つけてしまう場合もあるということです。
万人に愛を注ぎ、近しい人の心に無関心になってしまわない。
近過ぎて見えなくなってしまうものを、きちんと見るということです。
そういうことに気をつけながら、愛情を植えていく。
その愛情がいつか育って広がっていくと良いですね。
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