日常の生活の中でも、会社や学校の中でも、理不尽な事というのは絶えないものです。
昔の映画や書物を見ても、同じような内容の話があり、理不尽さは続いていると示唆しているようにも感じます。
声を上げる。
声を上げなければ何も変わらない。
分かってはいるけれども、事を荒げたくはない。
特に、家庭がある場合などは、
何より生活していく上で愛する人が、元気で楽しく過ごしていてくれたならそれで良いという思いも大きいものだと思います。
愛情って素晴らしいですよね。
また別の一面では、誰かの為に人生を犠牲にすることに鈍感になってしまっている。
長いものに巻かれている方が楽だという考え方もあるのかもしれません。
そんな中でも、少しずつ変わってきているようにも感じています。
声を上げてきた人たちがいた。
ハラスメントという言葉も一般的になっていった。
それでも、声を上げるとその一方で何かを失う可能性もある。
だが、声を上げずに、離れるという選択肢も出来てきた。
まだ少しずつではあると思うのですが…。
ひとりでいる人も、家族がある人も、あなたがあなたであるということが一番大事なことです。
そして、大切な人が大切にしているものが、大切になってくると思うのです。
誰かの都合の為に、自分やご家族の人生が犠牲にならないように。
よく、愛の反対語は無関心といいますが、無関心になることが希望を失わせてしまうということもあると思うのです。
この世は理不尽なものであることは確かなことであるし、声を上げていくというのは難しいことであるのも事実です。
ただ「これはおかしいな」と関心を寄せたり、「自分は相手の都合により黙って搾取されていく人間ではない」ということは、
自分や大切な人や家族を守る為にも伝えていった方が良いと思うのです。
歩みは遅くとも、小さな場所からでも、自他尊重の考え方をする人が増えていくと良いですね。
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