人格の定義の一つに「理性的性質の個体的実体」というのがあります。
6世紀のイタリアの哲学者の言葉なのですが、人格というのは、考える力と選ぶ力を備えた主体という意味です。
考えることも、選ぶことも、自由意志であるのだけれど、そこには責任も発生するというのが社会です。
そうしながら、理性にも自由意志にも様々葛藤がある中で生きているのが私たちだと思うのです。
例えば「こうしないと」という自分と「まあまあ後でもいいじゃん」という自分。
人間なのだから全てをしっかりと、きちんとは出来ないものだし、自分を許すということもとても大事だと思うのです。
それでも許してばかりいては、自分勝手に自分の欲望に忠実なだけの、人を思い遣れない人格になってしまう。
私などは自分を許してばかりいて反省すること頻りです。
自分がしたい事でも、しないで済ませられる。
自分がしたくない事でも、しようと自分で考え、選ぶことが出来る。
我慢をするということを自主性を持って出来る。
これから先の人生、そんな人格を築いていけたらと考えております。
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