転んでしまった。
どこかに体の一部がぶつかってしまい、とても痛い。
そんな時に、どのような声を掛けてもらえたら少し痛みがやわらぐのでしょうか。
「どうしたの?」
その声も、自分を気に掛かけてくれている感じがして嬉しいものですよね。
では「痛いねぇ」と声を掛けてもらったらどうでしょう?
自分の痛みを我が事のように受け止めてくれる人がいる。
痛みの意味が変わるような気がして嬉しいものです。
今苦しんでいる人に「どうしたの」と聞くより「苦しいね」と思いを受け止めてあげる。
そのことによって、苦しみの味わいが変わるように思うのです。
もちろん、痛いことに、苦しいことに変わりはないのですが、事実は同じでも解釈が変わってくるように思うのです。
人間というのは当てにならない要素があるものです。
結局のところ、心はいつも自分中心です。
それでも、そんな人間にも慈悲の心があります。
人の苦しみを「受け入れる」ことは出来なくても「受け止める」ことは出来ます。
愛の中には自分中心なものもあります。
ですが慈悲というのは、中心は相手です。
相手の痛み、相手の苦しみを、自分も同じ人間として感じる。
いつも自分勝手で自己中心的なわたしたち人間にも、そんな慈悲の心があるのだと思います。
コメント