「水を飲みて楽しむ者あり、錦を着て憂うるものあり」
中根東里という江戸中期の陽明学者の言葉ですが、
水を飲むしかないような暮らしをしていても、その味を楽しんで生きている者もいれば、高価な錦の着物を着ていても、こんな格好ではといつも心配は尽きず、憂鬱な者もいる。
全ては心次第。
自分が楽しんで生きているならば貧富など関係ない。
というような解釈の言葉です。
「人間の満たされ方」を知るということは、心地良く生きていく上での大きな要素になると思います。
例えば、
あれもこれもと、欲深く手に入れた。
それが自分の傲慢さに繋がって、更にはその傲慢さを行使する為に、自己栄光化に囚われてしまう。
反対に、ささやかなことに満足する人もいる。
今日は風が爽やかで幸せだ。
今あるものを受け止めて、有り難いと思える。
小さな幸せに気がつける。
地位や名誉はないかもしれないけれども、心理的には成功している。
小さな幸せに気がついているから、一日が楽しい。
小さな幸せが積み重なっていくから、生きているのが楽しい。
その軸があるから、辛いことや悲しいことに対応する力を持っている。
それでも、辛いことは辛いけれども、やっぱり辛いけれども、
それでもまた乗り越えて笑顔になれる。
笑顔を待てる。
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