アインシュタインは1879年.3月14日にユダヤ人夫妻の長男として、南ドイツのウルムという町で生まれました。
教育者の家庭に生まれたわけではなく、父親は商人だったのですが、
5歳の時に父親から羅針盤(磁石)を見せてもらい、磁界の流れ(南極にあるN極から北極にあるS極に沿って、針は常に北を指す)に不思議さと感動を覚えたそうです。
少年時代のアインシュタインは、いわゆる育ちの遅いタイプだったそうです。
その後も理系は良い点だったが、文系は全滅だったりで、
教師には「回答が遅い」などと目のかたきにされたりもしたそうですが、
「納得するまで答えは出せない」と物事をゆっくりと考えるタイプでもあったそうです。
この面は学者さんには結構多いかもしれませんね。
度合いというものはあるかもしれませんが、自分の価値を他人に委ねない。
心理学者のデヴィッドシーベリーの言葉であり、尊敬する加藤諦三先生もよく仰っていますが
「人間にとって唯一の義務は、自分自身になっていくこと」
自分が自分であることは、とても大事なことだと私も常々感じています。
自分らしくいられない時って辛いものですものね。
さて、1900年にチューリッヒ工科大学を卒業するも、研究者として大学に残ることは出来ず、研究職にもつけず、臨時教員や数学の個人教授などで苦しい生活を送っていました。
そんな中、大学の一級下の恋人の卒業を待って結婚したり、翌年にはアインシュタインの父親が死去したりと、転換期を過ごしていました。
そこへ大学時代の友人の紹介があり、特許局の採用試験を受け合格したのです。
役人の仕事は貧乏ではあったらしいのですが、午前中にノルマをこなし、午後は研究について考える時間を作っていたそうです。
そして、哲学や科学好きの友人達とサークル活動をしたり、芸術家たちとも交流を深めていたりしたそうです。
実は、アインシュタインが「相対性理論」を完成させたのは、特許局時代なのです。
そして後にノーベル賞を受賞した「光量子理論」を完成させたのも、特許局時代なのです。
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